アエラと週刊ポストの一件で考えた「情報リテラシー」問題

アエラ3月28日号「放射能がくる」と
週刊ポスト4月1日号「日本を信じよう〜放射能汚染とデマ」。

キヨスクでこの二紙の表紙を見たとき、
そのあまりの世界観の違いに驚いた。

各紙の記事タイトルの一部だ。

■アエラ
原発が爆発した
東京に放射能がくる
放射能疎開が始まった
原発恐慌と日本経済破綻
大震災の構図「連鎖災害」で街が壊滅
海沿い「廃墟の街」慟哭ルポ
「魔の避難所」で一気に波に呑まれた
浸水バスから恐怖の脱出

■週刊ポスト
日本人よ、今ここから歩み出そう
いま私たちは何を考えどう行動すべきか
菅直人「亡国の7日間」
日本にも「非常事態省」が必要だ
大前研一「縮み志向の日本よ、生まれ変われ」
日本経済は復興とともに蘇る
大震災がインターネットの役割を劇的に変えた!
制御困難

単純に言ってしまうと、
アエラは「放射能が来るから気をつけろ」
週刊ポストは「最悪の事態だけど元気を出そう」

同じ事象を報じるのに、
各社の編集方針でここまで違ってしまう。

二紙とも目を通したが、予想通り読後感が全く違った。

 

どちらがいいとか悪いとかではない。

 

問題は、編集側の「意図」「切り口」によって、
ここまで決定的な違いを生むということ。

だから、情報ソースを一つのテレビ局や一つの新聞、一つの雑誌にし、
何も考えず「鵜呑み」にするのは非常に危険が大きい。

今回のような緊張局面では、
どういう情報を得るかで、行動がまるきり変わるからである。

 

今回の災害では、
マスメディアの役割が問われ、
それと対比するようにソーシャルメディアに注目が集まった。

たしかにソーシャルメディアの出現によって、
私たちはリアルタイムで情報収集ができるだけなく、
情報の取捨選択の自由を手にした。

 

だがソーシャルメディアの問題は、受け手側にスキルが要求されるということ。

リビングに座って黙ってテレビを見ているようなわけにはいかない。
受け身では機能しないのだ。

 

玉石混交の情報の洪水から「玉」を取り出す。

デマに荷担しないように、情報ソースを確かめる。

インフルエンサーに過度に影響を受けないように、信頼できるソースを複数持つ。

疑問に思ったら自分で裏を取ったり、調査をする。

 

大変だし面倒だが、自転車に乗るのと同じようなもので、慣れとコツの問題だろう。

 

未曾有の災害により、ますます先が見えにくくなった日本。

予期せぬことや、前例がないことがたくさん起きるだろう。

そのとき、
誰の言葉を信じたらいいのか、
何を基準にどんな判断を下すのか。

これからは、情報リテラシーを磨き、能動的な情報収集をすることが

「乱世」を生き抜く鍵になると私は確信している。