トリコロールプロフ論争〜ソーシャル上では「正論」じゃなくて「感情表現」を大事にしたいんです。

先週末から月曜にかけて仕事が忙しかったのですが、その間に、ネットでは「トリコロールプロフィール論争」的な議論が盛り上がっていたようです。

ブロガーや論客の人が、

「Facebookのプロフィールをトリコロールにするならシリアの空爆でなくなった人はどうなんだ」とか、

「フランスの犠牲者だけ追悼するのはおかしい。世界中等しく追悼するべきだ」とか、

「言い出しっぺのザッカーバーグが笑顔のプロフのままなのは不謹慎だ」とか

「欧米の考えに組みしていることになる」とか

「テロリストを刺激するな」とかとか、立派な文章で長々と論じられてます。

ちなみに私はFacebookの個人プロフィールを1週間限定でトリコロールにしています。

理由は、パリが大好きだから。

町並みの美しさもそうですが、この夏久々に訪れたパリでは町の人が本当に親切でした。

道に迷っていたら何度も声をかけてくれたり、タクシーの運転手さんもホテルの人もとてもよくしてくれて、また来たいと思って帰国しました。

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その大好きなパリのレストランやライブで楽しんでいた人への今回の無差別テロは、場所と状況が想像できただけに、大きな感情が動きました。

トリコロールにしたのは「テロへの抗議」でもなければ「欧米至上主義」でもなく、

悲しい、痛ましい、ご冥福をお祈りします、という気持ちを表現したまでのこと。

トリコロールにした人は、いろんな理由があると思いますが、私のように政治的なことではなく、単純に自分の感情表現だという人は多いのではないでしょうか。

それを軽率だとか配慮が足りないとか言われても。

そもそもFacebookのプロフィールを加工するのに、難しい理屈はいらないでしょう。

プロフィールはみなそれぞれ自分を表現する場所であり、それが自由にできるのがソーシャルメディアの良さではないでしょうか。

フランスだけではなくほかの国の犠牲者のことを考えろと言う人もいますが、

それは正論かもしれないけど、私はマザーテレサではありませんし、

正直、行ったこともない国のことは想像できないです。

人の心には「関係性」というものがあり、100人亡くなってもその死に対する気持ちは同じではないです。

知人が亡くなって、お葬式に参列する人と、弔電やお花だけの人、スルーする人に分かれます。

会ったこともない方でも、その人のファンだったら参列します。

人ってそういうものではないでしょうか。

Facebookなんて、もっと、シンプルに考えていいと思います。

いちいち自分の表現や行動を政治的なことに結びつけられたらたまったものではありませんし、

箸の上げ下ろしに文句つけられるようなことも嫌です。

ソーシャルメディアの世界が「他人に監視される息苦しい場所」にはなってほしくないと強く思います。